長野県の法華寺と諏訪大社上社本宮はパワースポットなどでは無い!

コラム

タイトルにした理由

長野県の諏訪大社・上社本宮に行こうと思ったときに、プチ観光をしようと思った事が、キッカケで、法華寺(ほっくじ)を知る事になったのですが、歴史好きな方には 有名なお寺だったんですね! 全く知りませんでした。

同じように知らないと言う方も、知っている方も、和のパワーに気が付き、幸福が得られるように願います。

自分の場合、歴史を調べた事で、最終的に生きている以上、頑張るしかないと思いました。

それが、パワースポットなどでは無い!とタイトルにした理由です。

なぜ、そう思ったかと言うと、この法華寺に眠る[吉良義周:きら よしちか]公の事を知り調べた事が、キッカケと なったからです。

悲運、吉良義周(きら よしちか)の墓

この義周公は、忠臣蔵で有名になった、吉良上野介(きらこうずけのすけ)公の孫であり、吉良家の後を継承したばかりに、21歳という若さで、亡くなる結果になってしまいます。

吉良邸討ち入りのさい、命は助かったものの、その後、お家断絶、高島城で幽閉(ゆうへい)の身となり、ここ法華寺に眠る事になります。

幽閉された理由や経路、さらに幽閉中の監禁生活、自由の利かない終末期! それに比べ 自分は自由が利く、ただ、頭が悪く、動きが鈍い、何をやっても壁にぶつかって、乗り越えられない! (諸事情により、ご祈祷はして貰っていません)が、

こんな自分が、吉良家のお家断絶をさせられた義周公の眠るお寺や、織田信長による、武田家のお家断絶、さらに焼き討ちに合って、山中に逃れたお神輿以外、すべて焼失させられた、諏訪大社・上社本宮で、縁結び,及び,子孫繁栄の祈願成就をして貰ったところで、叶うはずも無かったのでは?っと、思いもしましたが、その後、1608年(慶長13年)徳川家康が四脚門の造営寄進したことを皮切りに、長い年月を経て再建されているので、周りの協力を得る事と復活を遂げると言う意味では、パワースポットと言えると思います。

知った事

この法華寺のことを調べていて解った事の中に、いくつかの有名なワードが出てきました。
知った事
・本能寺の変:織田信長と明智光秀の関係!
・赤穂浪士・忠臣蔵が、キッカケで、若くして亡くなった悲運の吉周公が眠っている事
・諏訪大社にまつわる伝説と(憶測:おくそく)
これらの関係についての記事は以下のリンクから。

本能寺の変吉良義周公の生涯・法華寺の歴史・諏訪大社の歴史】

ちなみに、ここ法華寺は、2011年の放火により、本堂は全焼していて、後に再建されています。

余談

ちなみに余談ですが[法華寺・放火]と検索すると、2006年におきた連続放火事件がヒットしますが、このときの犯人は、全く関係ありません、しかし、この連続放火事件も 世間で、大きな話題となった事件の一つです。

[くまぇり]と聞いて思い出す方も多いと思います。

自称「熊田曜子のそっくりさん」で、ブロガーだった人です。 燃えている火災現場の画像や動画をブログに載せて投稿していたのですが、のちに、自分で放火していた事が判明して、逮捕された事件です。

逮捕後、刑務所内で自殺未遂もしていますが、その後は模範囚として服役し、獄中生活中に「くまぇりカフェ」なる4コマ漫画を描き刑務所生活でのガールズトーク、ムショメシ、お便りコーナーなどが、月刊誌の創出版から出されていました、現在は出所して「くまぇりカフェ」も終了しています。

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